【解答】③ハマグリ
【解説】春になると、多くの貝の身がふっくらと厚みをおびて、おいしくなる。春の大潮には潮干狩りが行われ、蛤のシーズンはピークを迎える。
「古事記」にも登場するハマグリ。「日本書紀」にははまぐりの膾(なます)の料理法が書かれており、文献上では日本最古の食材のひとつだ。その名の由来は、形が栗の実に似ているため「浜栗」、砂浜の小石(「ぐり」と呼ぶ)ほどにたくさんとれたからとする説がある。
婚礼にハマグリを、と提唱したのは、八代将軍徳川吉宗だったとか。かの享保の改革者である。経済政策として、江戸湾に豊富にとれたハマグリを婚礼に、とスローガンをかかげ、販売促進をうながしたのは、なるほどありうること。
もう一つの見方もある。実は吉宗は結婚5年目に正室と死別、以後、歴代将軍としては珍しく再婚はしていない。正室は生涯ただひとり。男の純情をつらぬいた。暴れん坊将軍の純情あればこそ、今に至るまでこの慣わしが語り継がれた、と。
江戸時代には、殻の内側に絵や和歌を描いた、貝覆い(貝合わせ)という遊びも上流階級ではやり、その貝殻は嫁入り道具のひとつになっていた。
いっぽう庶民にとってのおなじみは焼きはまぐり。しゃれ言葉“その手は桑名の焼きはまぐり"でもおなじみ、三重県・桑名の名物焼きはまぐりは美味で知られた。「東海道中膝栗毛」では弥次さんが茶店で熱い焼きはまぐりをひっくり返し、おへそあたりに落として大騒ぎする。
かつて江戸でも、品川は潮干狩りの名所であり、ざくざく採れた。
しかしながら、いまでは東京湾のハマグリなんて幻の存在。ハマグリは水質汚染にすこぶる弱く、水温が高くなったり環境が悪くなると、死滅したり、引き潮に引かれて砂浜から遠くへ移動してしまう。
1965年(昭和40年)には3千トンもとれた桑名産も95年にはわずか1トン以下、全滅の危機に見舞われた。2012年には絶滅危惧種に指定され、環境省のレッドリストに。
その後、桑名では水質浄化や稚魚を放流するなど努力を続け、近年では年間200トン前後まで回復している。それでも市場に出ているものは9割以上が、中国や韓国からの輸入品だ。
ところで、数ある貝類のなかでもハマグリは伝説に包まれていることでも別格の存在だ。
“一夜に三里走る"
夏場に水温が上がり、ハマグリにとって環境が悪くなると、粘液を出しながら、海流に漂わせてその浮力で移動する。そのスピードたるや最大分速1メートルに達するといわれ、ここから「蛤は一夜に三里走る」という伝説が生まれた。
“蛤蜃気楼(しんきろう)を吐く"
夏にハマグリが出す粘液を見たためか、これにより海上に楼閣が現れると中国では信じられていた。これが蜃気楼であり、「蜃」はハマグリのことを指す。
最近とんと耳にすることが少なくなったが、一定の年齢以上の方には「ぐれる」という言葉になじみがあるはず。いま風にいうと「やんちゃをする」に近いニュアンスか。つまり、青少年の生活態度が乱れ、反社会的・反抗的な行動をするようになること。
「愚連隊」―懐かしい!―という言葉も、この「ぐれる」から生まれた。
実は「ぐれる」はハマグリに由来する。ハマグリの文字をひっくり返すと「グリハマ」。これは物事が食い違うこと、逆、あて外れのことで「グレハマ」ともいう。要は二枚貝のハマグリの殻は同一個体のもの以外とは決して合わないことから、食い違い、あて外れという意味が生まれた。
市場に出回るのは、三重県桑名産のように内海で採れる「ハマグリ」、千葉・九十九里や茨城・鹿島灘のような外洋でとれる「チョウセン(汀線)ハマグリ」、中国などから輸入した「シナハマグリ」の3種。
めっきり減った国産のハマグリは市場では「地ハマ」と呼ばれ、寿司屋や料理屋さん御用達といったところだ。多くは中国産。
国産に比べて味は劣るといわれるが、よくしたもので旬である今は、味もかなりいい。
春霞に包まれて、はまぐりのごちそうに舌鼓を打つ、このぜいたく。
これも夢か幻か――。