【解答】③にしん
【解説】にしんは伝説の魚だ。ニシンには3つの漢字が当てられる。そのひとつが北国を代表する「春告魚」。東日本でとれるから「鰊」。
そして、鯡。魚に非ず―。江戸から明治にかけての春、北海道に押し寄せたニシン。食用にしても有り余るそれは、脂を搾(しぼ)られると、北前船で西に運ばれ、畑の肥料になった。
江差の五月は江戸にもないと誇る鰊の春の海―江差追分の前唄にこう謡われたように松前藩の江差は、かつては春にしんの豊漁にわいた。
その栄華は、本州からやってきた季節労働者「やん衆」の漁労歌、ソーラン節にも唄われる。そして網元にも巨万の富をもたらし、海沿いには鯡御殿が立ち並んだ。
明治時代に最高潮を迎えたニシン漁は、明治30(1897)年に最高の97万5千トンの漁獲が記録された。しかしそこを頂点に年々減り続け、昭和13(1938)年には1万3千トンとなり、戦後さらに減少を続け、昭和35(1960)年以降、近年までほトンどその姿を消してしまった。
海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると赤い筒袖(つっぽ)のやん衆がさわぐ―希代のヒットメーカー、なかにし礼が石狩挽歌に描いたのは、戦後まもない頃のニシン漁に一攫千金を求め、夢破れた人たちの心象だった。
あれからニシンはどこにいったやら・・・♪
北海道では生ニシンを塩焼きにして食べるほか、塩ニシンやニシンずしなどにし、またニシンを開いて日に干し身欠きにしんとして保存食にする。
昔は、身を二つに割って片方を肥料に、もう一方を身欠きニシンに加工していた。身を二つに割くことから二身、にしんという名がついたといわれる。
この身欠きにしんを調理してかけそばの中にいれたにしんそばは京都名物。惣菜の昆布巻きの芯も身欠きにしんが用いられるのが常で、取り合わせのよいことのたとえにも。身欠きにしんと蕗(ふき)の煮しめやうど(独活)、秋なすの炊き合わせなどもおいしく、格好の出合いもの。
冷凍・冷蔵技術や輸送の発達していなかった時代、身欠きニシンは山間地のたんぱく源として重要な食材で、今や会津若松の名物になっている「さんしょう漬け」もそのひとつ。
下処理した身欠きニシンと山椒の若葉を何段も重ね、砂糖、醤油、酒、みりん、酢などでつくったつけ汁に漬け込んだ保存食だ。そのままでも充分おいしいが、軽くあぶると香ばしい風味が味わえる。
身欠きニシンにとどまらず、かつて搾った脂は灯火の燃料に、また卵である数の子など、ニシンは北国の生きる糧であった。
鯡のことを秋田、東北ではカド(イワシ)と呼ぶが、これはもともとアイヌ語で「糧(かて)」の意である。
正月料理の縁起もの。塩蔵したニシンの卵巣、数の子を珍重するのは、子孫が数の子のように産みひろがって、一族が繁栄するようにと祝う意味があるが、同時にあのしゃきしゃきとした歯ごたえの良さは、正月の気分と印象深く結びついているようだ。
正月料理の印象が強い数の子は普段はあまりお目にかからないが、子持ちコンブは年中販売され、すしネタとしても常備されている。子持ちコンブが採れるのはニシンが来遊する北海道の沿岸。海岸近くでニシンが産卵するとその卵が昆布に付着する。
これを塩漬けにして製品化したものが子持ちコンブだ。
ただし生産は少なく、流通しているのはごくわずか。入荷の大半はカナダなどからの輸入品。
いわしの仲間だけあって、にしんはビタミンやDHA(ドコサヘキサエン酸)、たんぱく質をたっぷり含む。数の子もDHAが豊富だ。
冬の寒さが和らぐと、日本各地から春の訪れの報せが届く。日本は春の訪れを魚で感じることのできる情緒豊かな国だ。
北国にはにしんのほかにさくらます(桜鱒)が、北陸からは早春に花見魚の名で呼ばれる②さよりが、④めばるは関東・東海から関西にかけて、瀬戸内には①さわら(鰆)やいかなご、福岡に春を告げるのはしろうお(素魚)、渓流釣りのファンにとってはあまご(雨子)ややまめ(山女)だろうか。
魚が告げる列島の春がいよいよ到来だ。